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山本(新島)八重と日本赤十字社

福島県会津若松市に生まれた山本八重は、後の同志社大学創設者である新島襄の妻となった人物です。

会津藩の「什(じゅう)の掟」など会津人としての精神を心の支えに、幕末の戊辰戦争では銃を持って戦うなど「幕末のジャンヌ・ダルク」と言われました。

明治になって、京都に移り住んだ後、八重は新島襄と結婚。2人はキリスト教式の結婚式を挙げ、八重は夫を「ジョー」と呼び新島襄もレディファーストを貫くなど、時代の先駆け的な八重の姿は人々から「ハンサムウーマン」と呼ばれました。

夫、新島襄の死後、八重は日本赤十字社の正社員となり、日清・日露戦争時に篤志看護婦として、懸命に傷病者の看護にあたりました。この八重の姿は後に「日本のナイチンゲール」と呼ばれています。

1896年(明治19年)に日本政府がジュネーブ条約に加入したのをきっかけとして、1887年(明治20年)に社名を「日本赤十字社」と変更し、同年9月2日に赤十字国際委員会から国際赤十字の一員として正式に承認されました。

このように、福島県に生まれ、激動の幕末を生き、時代の先駆者となった山本(新島)八重と日本赤十字社のかかわりについて紹介します。

新島八重(中央)と若い赤十字の看護婦たち(同志社大学提供)

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